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車線問題について

1:oktb :

2024/03/13 (Wed) 14:09:16

「論理サバイバル」について質問いたします。
p192 車線問題(090)
3の答えにあるレジにおける「一定時間をとってみると、速く前へ進んでいる列の方が、並んでいた人の数が多い」
という考え方を車線問題には適用しないのには理由があるのでしょうか?

それを含め、以下、書籍の内容と異なると思える考えを延べますので、間違いがあればご指摘ください。

まずレジについて、
一定時間を取ると多数派が早い列にいることは同意します。したがって、個々の人物について、
人生でレジに並ぶ経験回数のうち、速い方に並んだ経験が多い。よって回数の評価では『速い方が多い』
しかし、レジに並ぶ総時間数は五分五分。よって並んでいる間の意識の量(?)で評価すると五分五分。

車線について、
車の密度と速度が仮にちょうど反比例するならば、
とある区間の一定時間については、走行台数は同じ。したがって多数派的には同等。
しかし、個々のドライバーについてみると
その人が人生で運転する時間のうち、遅い車線で運転した時間の方が長い(区間における選択機会は五分五分で遅い方が時間が多くかかるので)。
意識として『遅い車線を走りがち』となりやすい。レジの場合よりも車線の方が、回数でなく総時間数で評価するのが自然な気はします。
ただし同じ区間を何回も運転する人が、その機会毎(回数・確率)で評価すれば五分五分と。

こう書いてみると、「論理サバイバル」の結論は、上記でレジについては回数の多寡、車線については運転時間の多寡を評価する場合と同じ結論で、その選択は私の感覚でも自然とは思いますので、私がややこしくしているだけなのでしょうか?

また、現段階での私の結論の総時間数の評価というのは、レジについても車線についても、「瞬間における多数派評価」と一致しているのですが、その理由・意味は自分の中で整理できていません。

考えにポカが多いので自信持ちきれないのですが、以上のようなことを考えました。
2:φ:

2024/03/14 (Thu) 12:58:28

二つの問題の違いは、いろいろな言い表わし方がありますが、こう表わしたらどうでしょう。
レジは、「早い方に並んだならば人数が多い方に属する。遅い方に並んだならば人数が少ない方に属する」
車線は、「多い方に並んでしまったがゆえに遅くなる」「少ない方に並んだがゆえに早くなる」
つまり、レジはスピードが人数を決定し、車線は人数がスピードを決定するということです。
その決定の仕方から帰結する相関は正反対で、
レジ:「早い・多い」「遅い・少ない」
車線:「遅い・多い」「早い・少ない」
となります。

つまるところ、因果関係が逆なんですね。

また、別の違いとしては、
レジは、いったん並んだら列を変えられないのに対し、車線に変えられるので、
レジ問題では並んだ回数、車線問題では瞬間(時間)を単位として数えることになるのではないでしょうか。
3:oktb :

2024/03/23 (Sat) 08:06:43

お返事遅くなり、すみません。
頂いたお返事もふまえ色々考えてみましたが、
やはり、レジの方は回数で考える結論の方が説得的である条件が多く、車線の方は回数で数えるのは難しい条件なので瞬間(時間)で考える結論が説得的ということかなと思いました。
ありがとうございました。






4:φ:

2024/03/24 (Sun) 23:29:30

 レジの場合も車線の場合も、経験時間の長さと、印象(自分が早い方にいるか遅い方にいるかの自覚)の生ずる回数とは正の相関があると言えるかもしれませんね。
 ただ、同じ状態で何度印象が生じても、後から思い返したときには「一回」と数えられるので、そのつど(新たな並び経験or走行経験をしている最中であっても)過去の経験については時間ではなく回数で評価する(評価すべき)ことになるのでしょう。
 ただしこれは補正要因をもっと厳密に考える余地のある問題かもしれません。
5:oktb :

2024/03/26 (Tue) 14:02:52

車線に関しても過去の経験について回数で評価するような(1回という)くくりができるとすると、瞬間における台数が多い車線は一定時間見ると進みが遅いことで相殺されて、多数派とは限らない(遅い方が多いとは限らない)ことになるのではないでしょうか。 
φさんの書かれていることを私が誤解していたらすみません。
6:φ:

2024/03/27 (Wed) 15:32:38

 レジは列を変更できないので、全世界の総回数からして今の自分も早い方の列に属する確率が高い(総回数が多い)。対して車線は列を変更できるので、状態ごとの人数で比較することになるが、状態単位で比較すると遅い方の列に属している総回数の方が多い。加えて、遅い列にいる時間の方が長いとはいえ、印象としては各状態につき一回だけ記憶に登録されるので、時間の長さは印象回数には影響しない(これはレジも同じ)。結果、総回数だけが印象回数と相関することとなるだろう、よって車線では遅い状態の印象の記憶登録数が多くなるだろうという意味でした。
 どうも複雑ですね。
7:oktb :

2024/04/16 (Tue) 10:22:49

お返事が遅くなりすみません。

遅い車線への所属を1回というふうに数えられるならば、その車線での一定時間の走行が前提と思い、一定時間に処理できる数は速い方が増えるというレジ方式による相殺を(車線の場合は速い方が結局は走行台数が少ないにしても)考える必要があるのではないか、という疑問がありましたが、
車線の変更が可能ならば、遅い方の車線に甘んじて留まり走行する時間(ないし距離)は、上記のようなことを考えるほどまとまった時間(距離)にはならないと見て無視できる。よって、(瞬間的な)状態での多数派・少数派を中心に考えていい、ということになりますでしょうか?
まだ誤解していたらすみません。
8:φ:

2024/04/17 (Wed) 16:17:37

「ある状態にとどまっている時間」が運・不運の主観に影響を及ぼすとしたら、長い方が印象深くなる、とは言えそうで、レジの「不運」というバイアス(事実に反した印象)はそれで説明できるかもしれません。対して、車線の場合は、早い方と遅い方ではとどまる時間はどちらが長いとも言えないので、事実どおり、「自分は不運な場合が多い」と感じることになるでしょう。とくに車線変更できない渋滞状態では、とどまる時間は同じとなりそうで、事実どおり、遅い方が多数派のため「自分は不運」と感じる機会が多いことになります。
9:oktb :

2024/04/22 (Mon) 22:43:54

端的にお聞きします。
レジの場合、時間当たりに処理できる人数が異なるため、一定時間を見ると速い方に所属した人数が多くなる。
この考え方を φさんは、車線には適用されないのだと思います(論理サバイバルでも、またここでの会話でもそのように読めます)。
その理由はなんでしょうか? 
結局、最初から今まで、私の疑問はそれなのでした。

特に、今回のお返事のように一定時間車線変更なしで走行するケースを考えるならば、遅い方が多数派と必ずしも言えない相殺が働くと思うのですが。(仮に台数と速度が完全に反比例する場合は走行台数は同じになるはず。すると、回数では同等に。)

ただ、人生において運転する総時間数で見ると明らかに遅い車線の方が多く(長く)なるので、それは「車線に関して自分は不運」という感覚に影響する可能性があると思えます。
10:φ:

2024/04/26 (Fri) 19:20:03

 自分がレジに実際に並んだ時間において、早いレジの方が人数が多いですね。よって「自分は遅い方にいることが多い」という印象は統計的に誤りです。
 他方、自分が当該道路上を実際に運転していた時間において、早い方の車線と遅い方の車線をしばしばスイッチすることになります。そして以下は新しい論点になってしまいますが、「遅い方」は速度を抑制する最低限の台数(密度)によって速度が決められているのに対し(だからこそ相対的に遅くなっている)、「早い方」は一般にそのような制限がかかっていない場合が多々あります。(両方とも台数の密度によって速度制限がかかっている場合もあるが)。
 したがって、「台数と速度が完全に反比例する場合」は、早い方の車線の密度を最大限に見積もった特殊な場合であり、現実には、早い方の車線には、その密度より少ない台数しか位置していないというのが現実でしょう。
 レジに戻ると、レジでは「人数と速度が完全に反比例する」ということが成り立っています。すいているレジがあったらすぐに人が並んでめいっぱいになるので。(車線ではそう目ざとく埋めることは理想的には起こらない。渋滞気味ですぐに車線を変えられないなど)
 早い方の帰属人数の下限があるかないかの違いというわけです。(レジでは下限あり、車線では下限なし)

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