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論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 - 空虚ノ羽 URL

2026/02/04 (Wed) 02:02:00

お忙しいところすみません。
新井紀子という方の著書に「大学生の文章読解能力を測るテスト」というのがあり気になったのでご質問させていただきました。
その著書では下記問題がありました(この質問に関係のない部分は割愛いたしました)

問題
「次の報告から確実に正しいと言えることには〇を、そうでないものには×を記入してください」

(報告)
公園に子どもたちが集まっています。男の子も女の子もいます。よく観察すると、帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です。
そして、スニーカーを履いている男の子は一人もいません。

(1)男の子はみんな帽子をかぶっている。
(2)帽子をかぶっている女の子はいない。
(3)帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている子どもは、一人もいない。

公式解答では「(1)男の子はみんな帽子をかぶっている」は〇
「(3)帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている子どもは、一人もいない」は×
とのことなんですが、
文章読解能力を測るテストだから「帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子」という点で「帽子をかぶってる子がいるんだな」という「行間を読みなさい」という問題なのかと思うんですが、論理学の問題としてはどうなんでしょうか?
この問題ですと、
「公園にいる子どもたちの中には帽子をかぶってる子と、スニーカーを履いている子がいます」という前提を書くべきだと思うんです。

論理学の講義を受けたことがないもので、お手すきの際に教えてくだされば嬉しいです。

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 φ URL

2026/02/04 (Wed) 04:43:56

何の本なのでしょうね。論理学の本であれば、(1)(2)(3)すべて×であるのは当然ですね。
 対して、行間読みを含めた会話の常識や語用論の問題だとしても、「確実に正しい」と言えることには〇、その他には×ということですから、3つとも×です。「確実に正しい」という言葉の意味を軽く考えてはいけませんからね。日常会話でも、確実性が入ってくると、誰しも誇張や隠蔽などの可能性を考えますから、「確実に正しい」と言えるものは、論理的にも、日常会話的にも、(1)(2)(3)すべて×です。

 「公園にいる子どもたちの中には帽子をかぶってる子と、スニーカーを履いている子がいます」という前提が書かれていたらどうでしょうか。(1)〇、(2)×、(3)×となりますね。この場合も、論理学と日常会話とで同じ結論になります。

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 - 空虚ノ羽 URL

2026/02/04 (Wed) 09:27:04

お返事ありがとうございます。
私の違和感が正しかったようでとても嬉しいです。

本に関してなんですが、ベストセラーになった「AIvs.教科書が読めない子どもたち」という新井紀子氏の本です。
「大学生数学基本調査」という問題の2問のうちの1つなのですが、

新井紀子氏の「こうした問題の正答率が低いから日本の大学生の読解力は低い」という主張の根拠となる問題です。

「大学生数学基本調査」でグーグル検索したら日本数学会の公式PDFにもこのテストが記載されていました。
もしかしてですが、学会が揺らぐレベルの欠陥問題でしょうか?
元々は私がnoteというブログに「地頭についての考察」という記事を書くために読んだのですが、問題の方に欠陥があるとなると「地頭が悪い生徒が正解してしまう」という結果になります。

こちらの掲示板でのやり取りをnoteに記載してもよろしいでしょうか?それともnoteというブログ一つの記事を超えた社会問題レベルでしょうか?

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 φ URL

2026/02/04 (Wed) 16:48:49

noteなりどこでなり、公に指摘するに値することですね。ここでのやり取りは引用していただいて構いません。
その本の解答では、(1)〇 (2)✕ (3)✕ ということですか。(1)についてのみ誤りだということでしょうか。それとも、解説文などにもおかしなところがあったりしますか?

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 - 空虚ノ羽 URL

2026/02/04 (Wed) 17:36:07

お忙しい中お返事ありがとうございます。
この設問の解答についてなのですが、三浦先生の仰る通り、(1)〇(2)×(3)×となっています。

著者の新井紀子氏の解説によると、

正しいのは(1)のみです。問題文中の「帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です」という文から、「男の子は帽子をかぶっている」ことがわかります。ですから(1)は正しいです。しかし「女の子は誰も帽子をかぶっていない」とは言っていません。つまり、確実に正しいとは言えないのです。だから(2)は×です。さらに、「スニーカーを履いている男の子は一人もいません」という文と合わせても、「帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている女の子がいる」可能性を否定できませんから、(3)の答えも×です。
(AIvs.教科書が読めない子どもたちP183より引用)

とありました。
「常識的には"帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です"と書いてあるということは"帽子をかぶっている子どもがいるのは当たり前"」ということでしょうか。

また、
日本数学会のPDFファイルでは下記説明が書かれていました。
以下は引用です。

本設問では,
平易な条件文をどれだけ正確に読みとることができるかの論理的読解力,また,その結果
から正しいことのみを帰結することができる論理的思考力を問うた.
高校の数学 A では,このような条件文を正しく読むための形式的な方法論を学ぶ.たと
えば,小問(1)は「帽子をかぶっていない子供は,みんな女の子です」の対偶にあたるので
正しい.一方,小問(2)は「帽子をかぶっていない子供は,みんな女の子です」の逆であり,
正しいとは限らない.逆が正しいと思いこむ誤謬は「後件肯定」とよばれ,陥りがちな誤
謬であることが知られている.小問(3)では,与えられた条件を論理的に組み合わせて判断
することが必要となる.
本設問のように,自然言語で書かれた文章から論理的な骨組みを正確に取り出すことは,
数学の学習の場だけではなく,現実世界の諸問題を精確に記述し,逆に記述されたものを
正しく理解し判断するというコミュニケーションにおいても必要となるだろう

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 φ

2026/02/04 (Wed) 17:54:14

あ。、すみません、私が読み間違えていました。(「
男の子も女の子もいます。」を読み落としていました)。
「帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です。」ですね。そうすると、(1)は○で正解でしたね。いい加減なことを言ってしまい申し訳ありません。
その本に、誤りはないです。失礼しました。
空虚ノ羽さんは、なぜ(1)は×だと考えたのでしょうか。

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 - 空虚ノ羽 URL

2026/02/04 (Wed) 18:34:28

私が間違っておりましたか!お恥ずかしい限りです。

単純に私が感じたのは、
「通常の文章読解」と「論理学においての文章読解」はもしかして違うのだろうか?
という事です。
論理学の場合だと通常「常識的には"帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です"と書いてあるということは"帽子をかぶっている子どもがいるのは当たり前"(全員帽子をかぶっていない、という可能性はない)」というのは通用しない理屈なのだろうか?
と思った、というだけのことです。

…恥ずかしながら、こちらのコメントって削除してもよろしいでしょうか?

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 φ URL

2026/02/04 (Wed) 19:06:45

 「男の子もいる」という設定ですから、自動的に「帽子をかぶっている子がいる」ということになりますね。明示されていなくても、論理的にそういうことになります。
 ちなみに、「男の子はみんな帽子をかぶっている」は自然言語としてあいまいで、普通は「男の子がいて、男の子はみんな帽子をかぶっている」という解釈となりますが、論理学ではその文は厳密には、存在仮定を含意しません。よって、男の子がいない場合は「男の子はみんな帽子をかぶっている」「男の子はみんな帽子をかぶっていない」の両方ともが真と見なされます。ただしそれらは「空虚に真」なので、「確実に正しい」という属性には当てはまらないでしょうね。
 なお、(1)が真であるための前提としては、男の子と女の子が相互排除的な属性であるということが必要です。LGBTQ時代においては、「男と女の両性自認を持つ」子の存在も考えねばなりませんから、(1)を〇とする日本数学会は、両性自認者をミスジェンダリングしていることになり、アライに糾弾されるかもしれませんね。この時代、男の子、女の子は問題文にこわくて使えないかもしれません。

 ――というような教訓も含んでいるので、削除せずに残しておきませんか。

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 - 空虚ノ羽 URL

2026/02/04 (Wed) 19:34:51

お返事ありがとうございます。
かしこまりました。削除せずに残しておきます。
仰る通り今の時代ですとトランスジェンダー等の問題も浮上しますね!
私は思考するのがとても好きなので、三浦先生とやり取りできただけでも非常に嬉しかったです!
論理パラドクスは私に「当たり前に考えている思考も一旦疑ってみることの重要性」を教えてくださった愛読書です。
今後も先生の著書を楽しみにしております!
そしてわざわざ突然のお話に付き合わせてしまい申し訳ありませんでした。

Re: 論理学と新井紀子氏の文章読解試験についての質問 φ URL

2026/02/04 (Wed) 19:56:20

私も今回はうっかりし失礼しました。
誤りの痕跡はかえって発展性のもとだと思うことにしましょう。
またいつでもどうぞ。

動物の利益について - やまとしじみ

2025/11/20 (Thu) 01:23:55

三浦先生。お忙しい中、すみません。まだ掲示板が存在しているようなので……。気が向いてかつお手すきのときがあればお答えいただければ嬉しいです。

三浦先生は動物の利益について、どの程度配慮すべきだとお考えでしょうか? 曖昧な記憶で申し訳ないですが、多宇宙と輪廻転生だと、観測選択の主体とならないゆえに利益主体ともならないと言われていたような。家畜に関しては、生まれないよりもマシなら功利主義的に正当化できるともあったような。

そのそも観測選択する能力をもたない生物たちに内在的な価値があるのか。観測選択されない利益も利益とカウントする根拠はあるのか。

私はイヌやキツネやウシが痛そうにしていると、「あ、苦痛だ。世界に害悪が生じいるな」と素朴に思いますが、素朴ではなく理屈で考えるとどうなるのでしょう? 倫理学では中枢神経の有無とかが重視されている? ようですが。あまり知識ないまま書き込んでます。

Re: 動物の利益について φ URL

2025/12/11 (Thu) 07:23:27

 しばらく見ていなかったもので、気づくのが遅れました。失礼しました。
 前の掲示板は絶えず書き込みがされていましたが、ここは最新の返信が下に行ってしまって見づらいせいかあまり書き込まれず、私も巡回を怠りがちでした。デザインを変えられるか模索してみます。(あるいは他の掲示板に移行するか)

 さて、動物の功利主義的立場についてですが、重要なご指摘ありがとうございます。言われてみると難しい問題ですね。人間原理と功利主義というテーマは、これから開拓する余地ある論題かもしれません。
 最も冷たい立場をとって、犬や猫には「現象的私」がないのだから功利主義的主体になり得ない、としましょう。その場合も、動物の利益を功利主義的主体並みにカウントする意義はあると思われます。理由は、人間(あるいは一般に知的生命)の進化論的認知の仕組みからして、喜怒哀楽の主体のように機能するシステムには現象的(経験的)主体を帰属させる情緒的直観が働くから、ということです。
 観測選択効果と高階思考理論を学んで、頭では「犬や猫には現象的経験は無い」と信じたとしても、その人の感情においては、愛や共感が作動します。その直観に反してイヌやネコ、あるいはトカゲや昆虫ですら、命を蔑ろにするとしたら、その人の感情的機能が破綻し、人間に対しても正常な功利主義的判断ができなくなる恐れがあるでしょう。
 危険な副作用を回避するためにも、あらゆる命を直感どおり尊重するのが、無難な(功利計算上有利な)道だと思われます。

 現象的主体に関する私の最新の考えは、『芸術の定義』p.393-394の注257に圧縮して記しました。

Re: 動物の利益について - やまとしじみ

2025/12/14 (Sun) 21:13:53

お返事ありがとうございます! 『芸術の定義』も近いうちに拝読したいと思います。

人間原理と功利主義はスリリングなテーマになりそうですね。高階知覚理論なしに人間原理を採用(?)すると、「参照クラス(くじ引きの母集団)」に昆虫や魚なども含まれてしまい、現在の私がここまで複雑な生物に属していることが説明不可能になってしまいますね。それではもはや人間原理ではないかも。私が現に人間であることを考慮すると、現象意識が成立している主体にはメタ認知的知性があるように思われます。

かといって経験主体であるためにある程度のメタ認識が不可欠だとすると、多くの動物の道徳的地位が危ぶまれてしまうので、直観的には危険な筋道だとも思います。人間原理からもクジラやチンパンジーなどを苦しめるべきではない根拠はでてくると思いますが、アジとかエビとかはかなり厳しいような(偏見かなぁ)。魚介類に侵害受容機能があるにせよ、現象的な苦しみはあるのか。活け造りは残酷にみえるが。

いずれにせよ、人間側の幸福のために必要な限りでの動物保護は功利主義的に望ましいとはされそうですよね。世界で数々の動物虐待などが黙認されていることは理屈はともあれ心苦しく思っているので、納得できます。

他方で、仮に動物に経験主体性がなく、動物保護の目的が人間の情緒的発達に求められる場合、「動物保護の精神が浸透しておらず、人間と動物の倫理的地位の断絶がはっきり社会ほど動物を蔑ろにしてもよい」というような帰結が出てきそうで気がかりです。

この点も道徳的な進歩が客観的なものであるなら、だんだん人類が情緒的な共感を抱く対象が拡大していき実践的な問題はそれほど生じないのかもしれませんが。これは進化倫理学や進化心理学の領分でしょうか。

以上、色々勘違いがあるかもしれません。

Re: 動物の利益について φ

2025/12/15 (Mon) 17:04:44

 科学的世界観が道徳まで浸透したとき、動物の権利、動物への共感などが維持できるか、というのは確かに気になる問題ですね。動物は高階思考が出来ないがゆえに現象的苦痛もない、ゆえに痛めつけてもよい、とはなりにくいと思います。
 理性で理解できていることと、実際に行動する原理とは乖離しているのが自然だからです。
 現在も、
 高階思考どころか機能的意識自体が不可逆的に減衰した人を、どうせ自我がないからと、傷めつけてよいなんて誰も思いません。
 食べ物を咀嚼して飲み込むことに何ら違和感を覚えない人も、咀嚼中に皿に全部吐き出して、それを再び口に入れて食べ続ける気になるかというと抵抗を覚えます。
 普通に恋人とキスしたがる人は多くても、恋人が垂らした唾液を口で受けて飲みたがる唾液フェチは少ないでしょう。
 神仏などいないと確信しており、かつ尿は汗とほぼ同じ成分で汚くないとわかっている科学主義者も、暑い日の墓参りで墓石に汗が垂れてもさほど気にしない反面、小便のしぶきがかかってもいいと思うかというと、単にやらないだけでなく、断固として拒むでしょう。
 という具合に、直観的に条件づけられた行動様式でマナーや倫理が形成されている仕方はわりと強固なので、動物への慈愛や共感は意識の哲学で揺らぐようなことは無いと思いますが。
 というか無いと思いたいですが。

 ちなみに、むしろ逆に、意識レベルの低い動物の方が、人間よりも、苦痛に見舞われたときかわいそうと感じさせる度合いが高いような。
 高階思考の堪能な高IQの人よりそうでない人に対しての方が、当人の苦痛への配慮が高い傾向が一般に人にはあるのと同様に。(『論理パラドクス 心のワナ編』問01と問77を参照)

Re: 動物の利益について - やまとしじみ

2025/12/17 (Wed) 00:50:21

>理性で理解できていることと、実際に行動する原理とは乖離しているのが自然だからです。

抽象的な倫理を社会に適用する際には避けて通れないところですね。先生があげた例も一般的な感性からしてその通りですし、ジョナサン・ハイトなどが著書であげていた色々な例もそうだといえそうです。

しかし文化や共有される世界観によって、動物への慈愛は無効化される可能性もあるとは思います。例えばいまでこそベビースキーマ的にかわいいのは当然! とされる猫ですが、18世紀以前のヨーロッパには猫焼きに熱狂する祝祭文化があったようですし。活け造りとか、小動物の生きたままの調理とかは現代でも至るところでみられます。

私は人間原理(の参照クラスの限定)を知って、動物の境遇に関して多少ほっとしたのですが(現象意識をもっているとしたら過酷すぎるだろうという―間違っているかもしれない―直観がある)、ある意味で、これもまた世界観が動物への共感?に影響を与えている例ですね。

社会の進歩の傾向からすると、闘牛の縮小、動物実験の条件限定その他、動物保護に進んでいるようにみえるので、希望的観測をもっていはいますが…。『論理パラドクス 心のワナ編』問01と問77は拝読しましたし、自宅にあるはずなので、探して再読します。確かに直観には合致した研究だった記憶です。

Re: 動物の利益について φ

2025/12/17 (Wed) 22:57:48

 自分と縁のない何千匹もの猫が察処分されていることには無関心でも、近くの井戸に落ちた猫がいれば、見知らぬ猫だとしても、放ってはおけませんね。単に近距離だから責任が生ずるという感覚でなく、命の尊さ自体が異なって感じられます。これは人間の命に対しても同じです。
 そのような不合理な錯覚によって我々はかろうじて正常に生活できていると言えるでしょう。地球の裏側で飢えている子どもたちのことで心を痛めて、自分の子どもの世話に罪悪感を覚え養育費の九割を寄付したりしたら、むしろ人間失格ですからね(価値理論上は正しい評価に従っているとしても)。

『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』の再出版について - U

2025/12/13 (Sat) 14:43:52

先生のご著書である『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』(NHK出版)が入手不能になっています。1年ほど前までhontoで電子書籍版は販売されていたのですが、気づけばこれも終了になっていました。今になって買っておくべきだったと後悔しています。今後別の出版社から新しく出版される予定などはありますか?若い頃に読んで感銘を受けたので、ぜひもう一度読みたいと思っております。

Re: 『論理学入門 推論のセンスとテクニックのために』の再出版について φ URL

2025/12/13 (Sat) 16:23:09

 電子書籍版も無くなっていますか。残念です。
 『論理学入門』、紙の書籍は少なくとも13刷までいったのは記憶にあり、かなり売れたはずですが、今は需要が無いと出版社に判断されてしまったんですかね・・・
 他の出版社からの新装版は今のところ予定ありません。
 論理思考の入門の入門を書きませんかという依頼は今もいくつかの出版社からいただきますが、あいにく実用書は気持ちが乗らないのでお断りしてしまいます。論理入門がらみで書くとしたら、かつての『戦争論理学』や『下半身の論理学』のような特定テーマ別クリティカルシンキング本ですね。ジェンダーでそれをやりたいのですが、当分は引き受けてくれる出版社はなさそうです。(月刊誌での発信の予定はありますが・・・)
 ともあれ、書籍・論考などの予定は、blogの「活動メモ」に記していきます。

コイン問題、フロリダ問題の続き - 初投稿者

2023/01/09 (Mon) 07:32:28

> 「表を見たか?」「イエス」のパターンで、1枚見たのか2枚見たのか分からないときですが、
> 見た本人が最初から1枚だけ見ると決めているなら1/2、最初から2枚見ると決めているなら1/3で良いと思います。

これも違うような気がしてきました。
出題者本人(Aさんとする)は最初から1枚だけしか見ないと決めていたのだとしても、その事実を知らない回答者の視点では、「Aさんが最初から2枚見ると決めている可能性」も0とは言えないはずだからです。
つまり、「Aさんが最初から1枚だけしか見ないと決めている確率」と「Aさんが最初から2枚見ると決めている確率」をそれぞれ考慮しなければいけないはずです。

これらの概念ですが、世の中には「1枚だけを見たくなる人」と「2枚見たくなる人」がいるとして、Aさんがそのどちらに属するのかが不明と言うことなので、「1枚だけを見たくなる人」と「2枚見たくなる人」の存在確率の計算が妥当してくることになるでしょう。
よって、『見た本人が最初から1枚だけ見ると決めているなら1/2』と『見た本人が最初から2枚見ると決めているなら1/3』は間違いで、『最初から決めている見る枚数に関係なく1/2≦P≦1/3 』と考えるのが正しいと思います。
(誰が出題者になっても必ず同じ枚数を見ることが確約されていない限り、P=1/2, P=1/3は成り立たないでしょう。(確約されていると回答者が認識していることが必要))



ここで思い出すのがフロリダ問題です。

> 『Aさんの子供の一人がフロリダという女児だった時に、もう一人も女である確率は?』

この場合、Aさん自身のフロリダの選択確率を使って計算するべきなのかという疑問ですが、それは「Aさんの名前の選択プロセスが回答者に提示された場合」に限られるのではないでしょうか。

「Aさんがどのようなプロセスを経てフロリダの名を選択したのかが不明」の場合、計算に使うのは「Aさんにおいて、最終的にフロリダの名を選択したことになる何らかのプロセスが採用された確率」ということになるでしょう。
言い換えれば、「Aさんの名前の選択プロセスが、世の中に存在する全ての名前の選択プロセスの内の、“最終的にフロリダが選ばれる”という条件を満たすプロセスに当てはまっている確率」、更に言い換えれば「Aさんが“最終的にフロリダを選んだ”という集団に属している確率」です。
これは結果的には「フロリダの存在確率」になるわけです。

そう考えると、私が最初に書いた以下の式は、実は正しかったのではないかと思えてきました。
フロリダの名の存在確率は無関係ではないと思われます。

-------------------------------------------------------------
P=(α+β-αβ)/(2α+β-αβ+γ)

  ここで、
  α:第1子の女におけるフロリダの存在確率
  β:第1子が非フロリダ(女)の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率
  γ:第1子が男の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率
-------------------------------------------------------------

数学というより国語の誤出題 φ URL

2023/01/13 (Fri) 17:31:15

>
>つまり、「Aさんが最初から1枚だけしか見ないと決めている確率」と「Aさんが最初から2枚見ると決めている確率」をそれぞれ考慮しなければいけないはずです。
>

そのとおりで、
回答者に「見た本人が最初から1枚だけ見ると決めていたのか、最初から2枚見ると決めていたのか」が知られている必要があります。(あるいは、それぞれの確率が)

 フロリダ問題においては、
 親が子の名前を選択した経緯ということより(それはもとより無関係でしょう)、
 出題者において
 名前が先に選ばれて親がそれに合わせて選ばれたのか、
 親が先に選ばれて子の名がそれに合わせて発見されたのか、
 が明記されねばなりません。(あるいはそれぞれの確率が)
 「フロリダ」という子の親という条件が先に選ばれた、という状況設定が明確に書かれていれば、統計的な頻度調査によるつまらない正解を計算するだけの作業となり、間違える人は少ないでしょう。
 フロリダ問題や誕生日問題のずるいところは、親を先に選んで、たまたま子の名前(誕生日)がこれこれこうと判明した、という書き方をしておきながら、「正解」には「フロリダ」(あるいは特定誕生日)限定の頻度確率を採用している点です。確率の錯覚というより、表現の錯覚(文章理解のトリック)を用いている点で、フロリダ問題は数学の正当な出題ではなく、国語の出題ミスと言うべきではないでしょうか。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - 初投稿者

2023/01/14 (Sat) 08:07:46

①名前が先に選ばれて親がそれに合わせて選ばれた
②親が先に選ばれて子の名がそれに合わせて発見された

例えば、
①は『フロリダという名の女はいるか?』『YES』のような事例、②は第1子か第2子のどちらかを出題者が任意に選ぶような事例、ということで良いでしょうか。
その場合、①と②は同じ結果になるような気がします。

---------------------------------------------------------------
【①の場合】

条件を満たす事象は以下の4通りです。

A 第1子:フロリダ(女)、第2子:非フロリダ(女)
B 第1子:非フロリダ(女)、第2子:フロリダ(女)
C 第1子:フロリダ(女)、第2子:男児
D 第1子:男児、第2子:フロリダ(女)

 第1子の女におけるフロリダの存在確率=α、
 第1子が非フロリダ(女)の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率=β
 第1子が男の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率=γ

とすると、

A=1/4α
B=1/4(1-α)β
C=1/4α
D=1/4γ

P=(A+B)/(A+B+C+D)
=(α+β-αβ)/(2α+β-αβ+γ)


---------------------------------------------------------------
【②の場合】

②の場合、条件を満たす事象は以下の4通りです。

A 第1子:フロリダ(女)、第2子:非フロリダ(女)、第1子を選択
B 第1子:非フロリダ(女)、第2子:フロリダ(女)、第2子を選択
C 第1子:フロリダ(女)、第2子:男児、第1子を選択
D 第1子:男児、第2子:フロリダ(女)、第2子を選択

 第1子の女におけるフロリダの存在確率=α、
 第1子が非フロリダ(女)の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率=β
 第1子が男の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率=γ
 第1子又は第2子のどちらかを選択する際の確率=1/2

とすると、

A=1/4α×1/2
B=1/4(1-α)β×1/2
C=1/4α×1/2
D=1/4γ×1/2

P=(A+B)/(A+B+C+D)
=(α+β-αβ)/(2α+β-αβ+γ)

---------------------------------------------------------------

①と②は同じ結果になります。
①と②が同じなので、①なのか②なのか不明だとしても結果は同じです。


もちろん、②の場合で第1子と第2子の選択されやすさ(もしくは男女の選択されやすさ)に差があるなら(もしくは差があるのかどうかが不明なら)結果は変わりますが、
それでもフロリダの存在確率が消去される理由にはならないと思います。


よって、フロリダ問題の場合、いずれにしてもフロリダの名前の存在確率の影響はあると考えて良いと思います。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - 初投稿者

2023/01/14 (Sat) 08:47:39

ちなみに、①において、出題者がもう一人の性別(フロリダでない方の性別)を知っているのか知らないのかが分からない場合は?
例えば、出題者がフロリダと偶然会って知ったというような場合です。

条件を満たす事象は8通りです。

A 第1子:フロリダ(女)、第2子:非フロリダ(女)、第1子と偶然会う
B 第1子:非フロリダ(女)、第2子:フロリダ(女)、第2子と偶然会う
C 第1子:フロリダ(女)、第2子:男児、第1子と偶然会う
D 第1子:男児、第2子:フロリダ(女)、第2子と偶然会う
E 第1子:フロリダ(女)、第2子:非フロリダ(女)、両方と偶然会う
F 第1子:非フロリダ(女)、第2子:フロリダ(女)、両方と偶然会う
G 第1子:フロリダ(女)、第2子:男児、両方と偶然会う
H 第1子:男児、第2子:フロリダ(女)、両方と偶然会う

 第1子の女におけるフロリダの存在確率=α、
 第1子が非フロリダ(女)の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率=β
 第1子が男の時の、第2子の女におけるフロリダの存在確率=γ
 第1子又は第2子のどちらかと偶然会う確率=δ
 両方と偶然会う確率=ε
 
とすると、

A=1/4α×δ
B=1/4(1-α)β×δ
C=1/4α×δ
D=1/4γ×δ
E=1/4α×ε
F=1/4(1-α)β×ε
G=1/4α×ε
H=1/4γ×ε

P=(A+B+E+F)/(A+B+C+D+E+F+G+H)
=(α+β-αβ)/(2α+β-αβ+γ)

ということで、やはり同じ結果です。



②において、出題者がもう一人の性別(フロリダでない方の性別)を知っているのか知らないのかが分からない場合は?(偶然会って知った場合)

A 第1子:フロリダ(女)、第2子:非フロリダ(女)、第1子と偶然会う
B 第1子:非フロリダ(女)、第2子:フロリダ(女)、第2子と偶然会う
C 第1子:フロリダ(女)、第2子:男児、第1子と偶然会う
D 第1子:男児、第2子:フロリダ(女)、第2子と偶然会う
E 第1子:フロリダ(女)、第2子:非フロリダ(女)、両方と偶然会う(第1子を選択)
F 第1子:非フロリダ(女)、第2子:フロリダ(女)、両方と偶然会う(第2子を選択)
G 第1子:フロリダ(女)、第2子:男児、両方と偶然会う(第1子を選択)
H 第1子:男児、第2子:フロリダ(女)、両方と偶然会う(第2子を選択)


A=1/4α×δ
B=1/4(1-α)β×δ
C=1/4α×δ
D=1/4γ×δ
E=1/4α×ε×1/2
F=1/4(1-α)β×ε×1/2
G=1/4α×ε×1/2
H=1/4γ×ε×1/2

P=(A+B+E+F)/(A+B+C+D+E+F+G+H)
=(α+β-αβ)/(2α+β-αβ+γ)

なので、これもやはり同じになりますね。


第1子と第2子の偶然会いやすさ(もしくは男女の偶然会いやすさ)が違う可能性もあると考えたら、上式の通りにはならないですが、
いずれにしても、フロリダの名前の存在確率が計算上から消えることはまずないと思われます。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/03/31 (Sun) 09:05:20

これって結局合ってるのですか?

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き φ

2024/04/01 (Mon) 13:28:33

 だいぶ経っているので思考経路を忘れてしまいましたが、

①名前が先に選ばれて親がそれに合わせて選ばれた
②親が先に選ばれて子の名がそれに合わせて発見された

 この二つで結果が同じになる、というのは誤りです。

同じ名前を二人に付けることはないと仮定すると、子が二人いるとわかっている場合
女子におけるフロリダの存在確率=α として

①では、通常の存在確率が正解なので、
〈初投稿者〉さんの計算に従って
(二人とも女子)/(一人がフロリダ)=(2-α)/(4-α)

②では、親の選ばれ方は任意であり、名はあと決めであって、どんな名前でも【まったく同じ問題】が成り立つので(そうでなければ①と弁別的な「親が先に決められた」という条件が無意味になる)、
(二人とも女子)/(一人がフロリダ)=1/3

以上が正解だと思われます。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/01 (Mon) 22:33:38

②はそうなのですか?
「任意に選んだ親が女児の名前を一人提示したとき、もう一人も女である確率は?」ならそうなのかもしれませんが・・・(そうすると答えは1/2 ??)。
提示された名前が結果的にフロリダだったという事実は問題文で与えられているので、フロリダ以外の名前で出題される可能性は本問とは無関係な気がします。。。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き φ

2024/04/02 (Tue) 14:48:09

 失礼しました、②は1/2でしたね。
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/16648
https://blog.goo.ne.jp/3qaiujrrwc87ph/e/6d715a33725760e863e32b84f9242dec
 「一人の名前を教えてください」ではなく「女子がいれば名前を教えてください」のような形で「フロリダ」が判明したのであれば1/3ですが。

 フロリダ問題は、誕生日問題と同じ問題と考えるならば、②の正解は1/2です。そして実際、名前の統計学の問題ではなく、数学の問題として、誕生日問題と同じ問題と考えるべきだと思われます。「一定程度珍しい名前」であればどれでも同じ問題が成立したのです。
 誕生日問題は、予め指定された誕生日と一致した、というのではなく、後から誕生日を言うだけですから、具体的な日付は問題に関係ありません。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/02 (Tue) 22:27:16

ご返答くださりありがとうございます。
誕生日問題の②が1/2になるのはその通りだと思います。
男女問題や誕生日問題などで①と②の結果が異なる根本原因は、第1子と第2子のダブり(ぞろ目?)の部分にあるのかと思っています。
(男女問題なら第1子と第2子が両方とも「女」、誕生日問題なら第1子と第2子が両方とも「4月2日生まれの女」となることがある。)

フロリダ問題が特殊なのは、同じ名前を二人に付けることはないという暗黙のルールがあるためで、誕生日問題とは少し事情が異なるような気がしています。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/05 (Fri) 20:09:33

②は事前確率(出題のルールだけが決まっている状態で、問題に採用される名前は決まっていない)なら、1/2。
ルール通りに試行して、「フロリダ」が選ばれたという情報が提示された瞬間に(2-α)/(4-α)に変わるのではないでしょうか。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/05 (Fri) 20:53:36

間違えました。
②の事前確率(出題のルールだけが決まっている状態で、問題に採用される名前は決まっていない)は1/4です。選ばれる性別も決まっていないと考えれば、二人とも女子は1/4。
しかし、男子が選ばれた場合は問題として成立しないので、男子の場合は女子が出るまでやり直すルールだとすれば、二人とも女子(事前確率)は1/3。

(そういえば、2人の子供問題の②も、男子が選ばれたのにも関わらず「二人とも女子の確率は?」の出題はあり得ないと考えると、女子が選ばれた時の二人とも女子の確率は1/3なのでしょうか・・・。女子しか選ばれないカラクリが存在すると考えた方が自然です。
男子の時は臨機応変に「二人とも男子の確率は?」に変更するなら1/2ですが、出題自体が気まぐれだと、「一人が女でもう一人は男の確率は?」のように出題される可能性も考えないといけなくなります。。。)

「フロリダという名の女子」が選ばれたという情報が提示された後でも、もし男子が選ばれていたらどうするつもりだったのかという疑問が付きまといますね。
誰が選ばれても「二人とも女子の確率は?」の出題で突き進むのであれば、「フロリダという名の女子」が判明した瞬間に(2-α)/(4-α)ということになるでしょうが・・・。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き φ

2024/04/06 (Sat) 04:37:55

「男子が選ばれた場合は問題として成立しないので、男子の場合は女子が出るまでやり直すルールだとすれば、二人とも女子(事前確率)は1/3。」

 ↑
 これにちなんで
 ↓

元の「二人の子ども問題」について確認すると、
問題設定は
二人の子の親限定
子どものうち任意の一人の性別を聞いたところで二人ともその性別である確率を求める

◎自発的に言わせる。男女どちらが言われても確率問題として採用する予定で、「女子」と言われた場合
  ↑これが自然な解釈

P((女、女)|女子と言われる)=P((女、女)&女子と言われる)/P(女子と言われる)=1/4/1/2=1/2

◎「女子はいますか」「います」となった場合(「いません」の場合は確率問題成立せず)
 ↑場合によっては自然な解釈

P((女、女)|女子いると言われる)=P((女、女)&女子いると言われる)/P(女子いると言われる)=1/4/3/4=1/3


◎自発的に「女子」と言う親に当たったところで初めて確率問題にする場合
 ↑(無理な解釈ではあるが・・・)

P((女、女)|女子と言われる)
=P((女、女)&女子と言われる)/P(女子と言われる)=

 ↑この場合、「女子はいますか」「います」と違って、分母が1で分子が1/4になるような気がするのです。
 すると計算上1/4になってしまうのですが、
 しかし1/4というのはおかしいな・・・
 この場合の正解は1/3のはずですよね・・・
 いま頭が働かないのでちょっと考えてみます。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/06 (Sat) 23:17:54

今日の書き込みは間違いが多かったので削除しました。

改めて、2人の子供問題で「女はいますか?」「います」のパターンについてです。
「女はいますか?」の質問に対し、「いません」と回答されると問題が成立しなくなりますが、そもそもそんな不確定要素のある問題を出題すること自体が不自然とも考えられないでしょうか。
むしろモンティホール問題のように、出題者は答えを知った上で「女はいますか?」の質問をして見せていると考えた方が自然かもしれません。
出題者は答えを知っていて、必ず「います」の回答が得られるように質問すると考えれば辻褄が合います。

選ばれた親の子供が
・「女-女」なら、確率1で「女はいますか?」と質問する
・「男-男」なら、確率1で「男はいますか?」と質問する
・「男-女」or「女-男」なら、「女はいますか?」または「男はいますか?」を任意に選んで質問する

この場合、「女はいますか?」→「います」→「二人とも女の確率は?」の答えは1/2となりますね。
これならそこそこ自然な解釈のような気がします。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/09 (Tue) 22:33:58

◎自発的に「女子」と言う親に当たったところで初めて確率問題にする場合
 (「男子」を選択する親に当たった場合は、「女子」を選択する親に当たるまで無限にやり直す)

 ↓

これは1/2と思われます。以下、証明です。

事象A:第1子(女)、第2子(女)、女子を選択
事象B:第1子(女)、第2子(男)、女子を選択
事象C:第1子(男)、第2子(女)、女子を選択
事象D:その他(男子を選択)

事象Dが起こった時のやり直しの事象をD1、D2、D3・・・とし、全事象を列記すると、

事象D1(A):男子を選択→やり直し→事象A
事象D1(B):男子を選択→やり直し→事象B
事象D1(C):男子を選択→やり直し→事象C

事象D2(A):男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→事象A
事象D2(B):男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→事象B
事象D2(C):男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→事象C

事象D3(A):男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→事象A
事象D3(B):男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→事象B
事象D3(C):男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→男子を選択→やり直し→事象C
 ・
 ・
 ・

それぞれの事象の確率は、

P(A)=1/2×1/2×1=1/4
P(B)=1/2×1/2×1/2=1/8
P(C)=1/2×1/2×1/2=1/8
P(D)=1/2

P(D1(A))=P(D)×P(A)
P(D1(B))=P(D)×P(B)
P(D1(C))=P(D)×P(C)

P(D2(A))=P(D)^2×P(A)
P(D2(B))=P(D)^2×P(B)
P(D2(C))=P(D)^2×P(C)

P(D3(A))=P(D)^3×P(A)
P(D3(B))=P(D)^3×P(B)
P(D3(C))=P(D)^3×P(C)
 ・
 ・
 ・


事象Dが起こらなくなるまで繰り返す場合の確率をP'で表記すると、

P'(A)=P(A)+P(D1(A))+P(D2(A))+P(D3(A))+・・・
  =P(A)×Σ(P(D)^k) (k=0,1,2,3,...,∞)
P'(B)=P(B)+P(D1(B))+P(D2(B))+P(D3(B))+・・・
  =P(B)×Σ(P(D)^k) (k=0,1,2,3,...,∞)
P'(C)=P(C)+P(D1(C))+P(D2(C))+P(D3(C))+・・・
  =P(C)×Σ(P(D)^k) (k=0,1,2,3,...,∞)

無限等比級数の公式を適用し、

P'(A)=P(A)/(1-P(D))=(1/4)/(1-1/2)=1/2
P'(B)=P(B)/(1-P(D))=(1/8)/(1-1/2)=1/4
P'(C)=P(C)/(1-P(D))=(1/8)/(1-1/2)=1/4

求める確率(二人とも女である確率)はP'(A)なので、
P'(A)=1/2

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き φ

2024/04/11 (Thu) 02:36:40

ありがとうございます。

改めて考えてみると、ごく簡単に計算できる問題のようです。

A 自発的に「女子」と言う親に当たったところで初めて確率問題にする場合
 (「男子」を選択する親に当たった場合は、「女子」を選択する親に当たるまで無限にやり直す)

男二人の親は必ず「男」と言う。除外。
男、女一人ずつの親のうち半数が「女」と言う。採用。
女二人の親は必ず「女」と言う。採用。

「女」と言う親は、男一人女一人の親のうち半数か、または女二人の親。
うち、女二人の親に当たった確率は、1/2

B 親一人だけに尋ねて
自発的に「女子」と言う親に当たったら「女二人の確率」を求める問題とし、
自発的に「男子」と言う親に当たったら「男二人の確率」を求める問題とする場合

男二人の親は必ず「男」と言う。採用。
男、女一人ずつの親のうち半数が「女」と言う。採用。
女二人の親は必ず「女」と言う。採用。

実際は、「女」と言った。
「女」と言う親は、男一人女一人の親のうち半数か、または女二人の親。
うち、女二人の親に当たった確率は、1/2

どうやらAとBは同じ問題でしたね。

前回、
「女子はいますか」「います」と違って、分母が1で分子が1/4になるような気がするのです。
 すると計算上1/4になってしまうのですが、・・・

と書いたのは誤りで、
どの親であれ 「女」と言う確率は1/2なので
分母が1/2で分子が1/4
なのでした。

「ただ一人にだけ尋ねて女と答えられた」と「女という答えがあるまで続ける」は、確率計算に違いを生みません。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/20 (Sat) 12:19:11

「ただ一人にだけ尋ねて女と答えられた」は、女と答えられた段階でベイズの定理が発動するのに対し、
「女という答えがあるまで続ける」は事前確率の時点で答えが決まっていて、条件付き確率の問題ではないという違いはありますね。
いずれにしても、両者の計算は全く同じなので、答えは同じになりますね。

話を戻しますが、フロリダ問題において、以下2つは同じになりそうです。
①名前が先に選ばれて親がそれに合わせて選ばれた
②親が先に選ばれて子の名がそれに合わせて発見された

例えば、A~Dの家族が以下の数存在しているとします。

事象A:第1子(女)、第2子(女:フロリダ) →2万家族
事象B:第1子(女:フロリダ)、第2子(女) →4万家族
事象C:第1子(男)、第2子(女:フロリダ) →4万家族
事象D:第1子(女:フロリダ)、第2子(男) →4万家族

ここで、全家族にどちらかの子供を任意に選択させた場合、フロリダを選ぶ家族数は以下の数となるでしょう。

事象A':第1子(女)、第2子(女:フロリダ) →1万家族
事象B':第1子(女:フロリダ)、第2子(女) →2万家族
事象C':第1子(男)、第2子(女:フロリダ) →2万家族
事象D':第1子(女:フロリダ)、第2子(男) →2万家族

2人の子供を持つ家族数が仮に1000万家族であるとすると、
②に従って任意に親を選んだ時に事象A'~D'(フロリダが選ばれる)に当たる確率は

P(A')=1/1000
P(B')=2/1000
P(C')=2/1000
P(D')=2/1000

フロリダを選ぶ家族に当たった時に二人とも女子である確率は、P=3/7


一方、①に従って「フロリダはいますか?」と聞いて「はい」と言われた時に、二人とも女子である確率も、P=3/7

①と②は同じ結果になりそうです。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き φ

2024/04/21 (Sun) 14:53:37

 ↑女子が(残された名前の中から)フロリダと名づけられる確率が常に1/2のときの計算でしょうか。

 フロリダ問題の正解が、設定のバリエーションによってそれぞれ1/2, 1/3, 3/7となるような一般形を次のように考えてみました。
「フロリダはいますか」という問いに対して「はい」と答えられた場合を一般形として考える。
女子がフロリダと名づけられる確率をαとすると

P(女女|います)=P(います|女女)P(女女)/P(います)
=1/4(1-(1-α)2)/(1/4(1-(1-α)2)+α/4+α/4)
=(1-(1-α)2)/((1-(1-α)2)+2α)
=(2α-α2))/(2α-α2+2α)
=(2-α))/(4-α)

 特殊な場合は、
 フロリダが任意の女子名のとき(「フロリダ」のかわりに「何らかの女子名」とする場合)
 α=1
 ◆「女子はいますか」「います」の問題に同化
P(女女|います)=(2-α))/(4-α)=1/3

 フロリダが特定の女子名のとき(「フロリダ」のかわりに「このケースの女子名限定」とする場合)
 たとえばフロリダが特定の選ばれた親の子という規約のとき
 α≈0
 ◆先に名前が選ばれるあるいは親が選ばれる場合に同化
P(女女|います)=(2-α))/(4-α)≈1/2

 ◆女子がフロリダと名づけられる確率が常に1/2のとき(長女が次女の二倍の確率でフロリダである場合)
P(女女|います)=(2-α))/(4-α)
=3/7

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/21 (Sun) 23:35:29

①フロリダが任意の女子名のとき(「フロリダ」のかわりに「何らかの女子名」とする場合)
②フロリダが特定の女子名のとき(「フロリダ」のかわりに「このケースの女子名限定」とする場合)
 たとえばフロリダが特定の選ばれた親の子という規約のとき

→これは両方ともP=(2-α)/(4-α)ではないでしょうか。
 フロリダ問題においては、「一人がフロリダという名の女子である」という条件が既に与えられているからです。



①フロリダが任意の女子名のとき(「フロリダ」のかわりに「何らかの女子名」とする場合)

 求める確率が「事前確率」なら1/3でよいと思います。
 つまり、問題文が次のような場合は1/3になります。

 『あらかじめ女子名をランダムに選び、「〇〇(女子名)はいますか?」と質問したら「います」と返答されたとき、2人とも女子である確率は?』
  ⇒ P=1/3

 ところが、次の問題文の場合は確率がP=(2-α)/(4-α)に変化します。

 『あらかじめ女子名をランダムに選び、「〇〇(女子名)はいますか?」と質問したら「います」と返答されたとき、2人とも女子である確率は? ただし、あらかじめランダムに選んだ女子名は「フロリダ」であるとする。』
  ⇒ P=(2-α)/(4-α)

 質問する名前が「フロリダ」に決まった瞬間に確率が更新され、P=(2-α)/(4-α)になります。
 フロリダ問題は後者が妥当し、選んだ名前が「フロリダ」に決まった後の「事後確率」と考えた方が適切と思われます。


②フロリダが特定の女子名のとき(「フロリダ」のかわりに「このケースの女子名限定」とする場合)
 たとえばフロリダが特定の選ばれた親の子という規約のとき

 これも「事前確率」なら1/2ですかね。
 次の問題文であれば1/2になるでしょう。

 『任意に選んだ親が女児の名前を一人提示したとき、もう一人も女である確率は?』
  ⇒ P=1/2

 これも、次の問題文の場合はP=(2-α)/(4-α)に変化します。

 『任意に選んだ親が女児の名前を一人提示したとき、もう一人も女である確率は? ただし、提示された名前は「フロリダ」であったとする。』
  ⇒ P=(2-α)/(4-α)

 やはり、フロリダ問題の場合は、提示された名前が「フロリダ」だと分かった後の「事後確率」と考えた方が適切でしょう。

結果的に「フロリダ」を知ったという情報が与えられているのであれば、どのような過程で「フロリダ」を知ったかはあまり関係ないと思われます。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/22 (Mon) 10:14:23

『あらかじめ女子名をランダムに選び、「〇〇(女子名)はいますか?」と質問したら「います」と返答されたとき、2人とも女子である確率は?』は1/3ではないですね。ランダムな選び方に依存します。
理由は後で書きます。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - oktb

2024/04/22 (Mon) 22:55:20

ξさん、はじめまして。ちょっと気になったので、横からすみません。

①フロリダが任意の女子名のとき(「フロリダ」のかわりに「何らかの女子名」とする場合)
とφさんが書かれているのは、

「何らかの女子名の子がいますか?」と質問するということではないですか?
それで、

> α=1
 ◆「女子はいますか」「います」の問題に同化
P(女女|います)=(2-α))/(4-α)=1/3

となる。

ご迷惑でしたらスルーしてください。

また、私の理解が違っている場合は、ご両者に対しすみません。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き φ

2024/04/23 (Tue) 12:36:31

私については、oktbさんの理解の通りです。

P=(2-α)/(4-α)は全設定において共通で、
設定に応じαの値を解釈することで
全設定において正解を導く、といった一般的定式化が目的でした。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/04/26 (Fri) 23:15:58

『「何らかの女子名の子がいますか?」と質問したら「います」と返答されたとき、2人とも女子である確率は?』なら1/3ですね。
厳密にいえば、女子名であっても実際の性別は男子ということもあるでしょうが、確率への影響は誤差レベルのはずです。
答えは近似的に1/3になると考えて差し支えないでしょう。


一方、『あらかじめ女子名をランダムに選び、「〇〇(女子名)はいますか?」と質問したら「います」と返答されたとき、2人とも女子である確率は?』ですが、これは意外と難解ですね。
少し考え込んで時間がかかってしまいました。

この問題において、「います」と返答される事象と確率を列挙して考えます。
スレッドの先頭の方にある書き込みを踏襲して、各女子名の存在確率などを次のようにおきます。

・第1子の女における〇〇(女子名)の存在確率=αi
・第1子が女の時の、第2子の女における〇〇(女子名)の存在確率=βi
・第1子が男の時の、第2子の女における〇〇(女子名)の存在確率=γi
・あらかじめランダムに選んだ女子名(質問する女子名)が〇〇である確率=δi

ここで
・Σαi=1、Σβi=1、Σγi=1 (i=1,2,3,...,N)
・0<Σδi≦1 (i=1,2,3,...,N)

「います」と返答される事象とその確率を列挙すると、

【女子名1を選ぶ】
事象A1:第1子(女:女子名1以外)、第2子(女:女子名1) →1/4(1-α1)β1δ1
事象B1:第1子(女:女子名1)、第2子(女:女子名1以外) →1/4α1δ1
事象C1:第1子(男)、第2子(女:女子名1) →1/4γ1δ1
事象D1:第1子(女:女子名1)、第2子(男) →1/4α1δ1

【女子名2を選ぶ】
事象A2:第1子(女:女子名2以外)、第2子(女:女子名2) →1/4(1-α2)β2δ2
事象B2:第1子(女:女子名2)、第2子(女:女子名2以外) →1/4α2δ2
事象C2:第1子(男)、第2子(女:女子名2) →1/4γ2δ2
事象D2:第1子(女:女子名2)、第2子(男) →1/4α2δ2

【女子名3を選ぶ】
事象A3:第1子(女:女子名3以外)、第2子(女:女子名3) →1/4(1-α3)β3δ3
事象B3:第1子(女:女子名3)、第2子(女:女子名3以外) →1/4α3δ3
事象C3:第1子(男)、第2子(女:女子名3) →1/4γ3δ3
事象D3:第1子(女:女子名3)、第2子(男) →1/4α3δ3
 ・
 ・
 ・


「〇〇(女子名)はいますか?」と質問したら「います」と返答されたとき、2人とも女子である確率は、

P=(A1+B1+A2+B2+A3+B3+・・・)/(A1+B1+C1+D1+A2+B2+C2+D2+A3+B3+C3+D3+・・・)
=Σ[(αi+βi-αiβi)δi]/Σ[(2αi+βi-αiβi+γi)δi] (i=1,2,3,...,N)

確率Pは1/3に収束せず、α、β、γ、δの確率に依存するようです。


ちなみに、ランダムに選んだ女子名が「フロリダ」である場合、若しくは「フロリダ」を選ぶことが初めから確定している場合は、
P=(α+β-αβ)/(2α+β-αβ+γ) もしくは近似的に P=(2-α)/(4-α) が正解と考えて問題ないでしょう。

Re: コイン問題、フロリダ問題の続き - ξ

2024/05/03 (Fri) 21:37:09

前回の書き込みについていくつか訂正します。
まず、「・第1子が女の時の、第2子の女における〇〇(女子名)の存在確率=βi」と書いたのは間違いで、
正しくは「・第1子が〇〇(女子名)以外の女の時の、第2子の女における〇〇(女子名)の存在確率=βi」です。
こうでないと意味が異なってしまいます。

また、βiの定義を「第1子が〇〇(女子名)以外の女の時の・・・」とした場合、Σβi=1 ではありませんでした。

なお、「第1子(女:女子名i以外)、第2子(女:女子名i)」のそれぞれの確率を i=1~Nまで和をとった場合、『2人の子供が両方とも女子である確率=1/4』と等しくなるので、
Σ[1/4(1-αi)βi]=1/4 (i=1,2,3,...,N)

故に、βiは『Σ[(1-αi)βi]=1 (i=1,2,3,...,N)』を満たす値であると定義することができます。
訂正内容を以下にまとめます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
誤)
・第1子が女の時の、第2子の女における〇〇(女子名)の存在確率=βi
   ↓
正)
・第1子が〇〇(女子名)以外の女の時の、第2子の女における〇〇(女子名)の存在確率=βi


誤)
ここで
・Σαi=1、Σβi=1、Σγi=1 (i=1,2,3,...,N)
・0<Σδi≦1 (i=1,2,3,...,N)
   ↓
正)
ここで
・Σαi=1、Σγi=1 (i=1,2,3,...,N)
・Σ[(1-αi)βi]=1 (i=1,2,3,...,N)
・0<Σδi≦1 (i=1,2,3,...,N)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


『あらかじめ女子名をランダムに選び、「〇〇(女子名)はいますか?」と質問したら「います」と返答されたとき、2人とも女子である確率は?(事前確率)』の答えについては変更ありません。
P=Σ[(αi+βi-αiβi)δi]/Σ[(2αi+βi-αiβi+γi)δi] (i=1,2,3,...,N)

車線問題について - oktb

2024/03/13 (Wed) 14:09:16

「論理サバイバル」について質問いたします。
p192 車線問題(090)
3の答えにあるレジにおける「一定時間をとってみると、速く前へ進んでいる列の方が、並んでいた人の数が多い」
という考え方を車線問題には適用しないのには理由があるのでしょうか?

それを含め、以下、書籍の内容と異なると思える考えを延べますので、間違いがあればご指摘ください。

まずレジについて、
一定時間を取ると多数派が早い列にいることは同意します。したがって、個々の人物について、
人生でレジに並ぶ経験回数のうち、速い方に並んだ経験が多い。よって回数の評価では『速い方が多い』
しかし、レジに並ぶ総時間数は五分五分。よって並んでいる間の意識の量(?)で評価すると五分五分。

車線について、
車の密度と速度が仮にちょうど反比例するならば、
とある区間の一定時間については、走行台数は同じ。したがって多数派的には同等。
しかし、個々のドライバーについてみると
その人が人生で運転する時間のうち、遅い車線で運転した時間の方が長い(区間における選択機会は五分五分で遅い方が時間が多くかかるので)。
意識として『遅い車線を走りがち』となりやすい。レジの場合よりも車線の方が、回数でなく総時間数で評価するのが自然な気はします。
ただし同じ区間を何回も運転する人が、その機会毎(回数・確率)で評価すれば五分五分と。

こう書いてみると、「論理サバイバル」の結論は、上記でレジについては回数の多寡、車線については運転時間の多寡を評価する場合と同じ結論で、その選択は私の感覚でも自然とは思いますので、私がややこしくしているだけなのでしょうか?

また、現段階での私の結論の総時間数の評価というのは、レジについても車線についても、「瞬間における多数派評価」と一致しているのですが、その理由・意味は自分の中で整理できていません。

考えにポカが多いので自信持ちきれないのですが、以上のようなことを考えました。

Re: 車線問題について φ

2024/03/14 (Thu) 12:58:28

二つの問題の違いは、いろいろな言い表わし方がありますが、こう表わしたらどうでしょう。
レジは、「早い方に並んだならば人数が多い方に属する。遅い方に並んだならば人数が少ない方に属する」
車線は、「多い方に並んでしまったがゆえに遅くなる」「少ない方に並んだがゆえに早くなる」
つまり、レジはスピードが人数を決定し、車線は人数がスピードを決定するということです。
その決定の仕方から帰結する相関は正反対で、
レジ:「早い・多い」「遅い・少ない」
車線:「遅い・多い」「早い・少ない」
となります。

つまるところ、因果関係が逆なんですね。

また、別の違いとしては、
レジは、いったん並んだら列を変えられないのに対し、車線に変えられるので、
レジ問題では並んだ回数、車線問題では瞬間(時間)を単位として数えることになるのではないでしょうか。

Re: 車線問題について - oktb

2024/03/23 (Sat) 08:06:43

お返事遅くなり、すみません。
頂いたお返事もふまえ色々考えてみましたが、
やはり、レジの方は回数で考える結論の方が説得的である条件が多く、車線の方は回数で数えるのは難しい条件なので瞬間(時間)で考える結論が説得的ということかなと思いました。
ありがとうございました。






Re: 車線問題について φ

2024/03/24 (Sun) 23:29:30

 レジの場合も車線の場合も、経験時間の長さと、印象(自分が早い方にいるか遅い方にいるかの自覚)の生ずる回数とは正の相関があると言えるかもしれませんね。
 ただ、同じ状態で何度印象が生じても、後から思い返したときには「一回」と数えられるので、そのつど(新たな並び経験or走行経験をしている最中であっても)過去の経験については時間ではなく回数で評価する(評価すべき)ことになるのでしょう。
 ただしこれは補正要因をもっと厳密に考える余地のある問題かもしれません。

Re: 車線問題について - oktb

2024/03/26 (Tue) 14:02:52

車線に関しても過去の経験について回数で評価するような(1回という)くくりができるとすると、瞬間における台数が多い車線は一定時間見ると進みが遅いことで相殺されて、多数派とは限らない(遅い方が多いとは限らない)ことになるのではないでしょうか。 
φさんの書かれていることを私が誤解していたらすみません。

Re: 車線問題について φ

2024/03/27 (Wed) 15:32:38

 レジは列を変更できないので、全世界の総回数からして今の自分も早い方の列に属する確率が高い(総回数が多い)。対して車線は列を変更できるので、状態ごとの人数で比較することになるが、状態単位で比較すると遅い方の列に属している総回数の方が多い。加えて、遅い列にいる時間の方が長いとはいえ、印象としては各状態につき一回だけ記憶に登録されるので、時間の長さは印象回数には影響しない(これはレジも同じ)。結果、総回数だけが印象回数と相関することとなるだろう、よって車線では遅い状態の印象の記憶登録数が多くなるだろうという意味でした。
 どうも複雑ですね。

Re: 車線問題について - oktb

2024/04/16 (Tue) 10:22:49

お返事が遅くなりすみません。

遅い車線への所属を1回というふうに数えられるならば、その車線での一定時間の走行が前提と思い、一定時間に処理できる数は速い方が増えるというレジ方式による相殺を(車線の場合は速い方が結局は走行台数が少ないにしても)考える必要があるのではないか、という疑問がありましたが、
車線の変更が可能ならば、遅い方の車線に甘んじて留まり走行する時間(ないし距離)は、上記のようなことを考えるほどまとまった時間(距離)にはならないと見て無視できる。よって、(瞬間的な)状態での多数派・少数派を中心に考えていい、ということになりますでしょうか?
まだ誤解していたらすみません。

Re: 車線問題について φ

2024/04/17 (Wed) 16:17:37

「ある状態にとどまっている時間」が運・不運の主観に影響を及ぼすとしたら、長い方が印象深くなる、とは言えそうで、レジの「不運」というバイアス(事実に反した印象)はそれで説明できるかもしれません。対して、車線の場合は、早い方と遅い方ではとどまる時間はどちらが長いとも言えないので、事実どおり、「自分は不運な場合が多い」と感じることになるでしょう。とくに車線変更できない渋滞状態では、とどまる時間は同じとなりそうで、事実どおり、遅い方が多数派のため「自分は不運」と感じる機会が多いことになります。

Re: 車線問題について - oktb

2024/04/22 (Mon) 22:43:54

端的にお聞きします。
レジの場合、時間当たりに処理できる人数が異なるため、一定時間を見ると速い方に所属した人数が多くなる。
この考え方を φさんは、車線には適用されないのだと思います(論理サバイバルでも、またここでの会話でもそのように読めます)。
その理由はなんでしょうか? 
結局、最初から今まで、私の疑問はそれなのでした。

特に、今回のお返事のように一定時間車線変更なしで走行するケースを考えるならば、遅い方が多数派と必ずしも言えない相殺が働くと思うのですが。(仮に台数と速度が完全に反比例する場合は走行台数は同じになるはず。すると、回数では同等に。)

ただ、人生において運転する総時間数で見ると明らかに遅い車線の方が多く(長く)なるので、それは「車線に関して自分は不運」という感覚に影響する可能性があると思えます。

Re: 車線問題について φ

2024/04/26 (Fri) 19:20:03

 自分がレジに実際に並んだ時間において、早いレジの方が人数が多いですね。よって「自分は遅い方にいることが多い」という印象は統計的に誤りです。
 他方、自分が当該道路上を実際に運転していた時間において、早い方の車線と遅い方の車線をしばしばスイッチすることになります。そして以下は新しい論点になってしまいますが、「遅い方」は速度を抑制する最低限の台数(密度)によって速度が決められているのに対し(だからこそ相対的に遅くなっている)、「早い方」は一般にそのような制限がかかっていない場合が多々あります。(両方とも台数の密度によって速度制限がかかっている場合もあるが)。
 したがって、「台数と速度が完全に反比例する場合」は、早い方の車線の密度を最大限に見積もった特殊な場合であり、現実には、早い方の車線には、その密度より少ない台数しか位置していないというのが現実でしょう。
 レジに戻ると、レジでは「人数と速度が完全に反比例する」ということが成り立っています。すいているレジがあったらすぐに人が並んでめいっぱいになるので。(車線ではそう目ざとく埋めることは理想的には起こらない。渋滞気味ですぐに車線を変えられないなど)
 早い方の帰属人数の下限があるかないかの違いというわけです。(レジでは下限あり、車線では下限なし)

著書についての質問 - RingRing

2024/02/07 (Wed) 16:48:43

こんにちは。今更ながら先生の著作『エンドレスエイトの驚愕@人間原理を考える』を読ませていただきました。質問なのですが、本書のP.230においてコンセプチュアルアートの一例として先生が作者と内容だけ挙げていたものについて、作品名をインターネットを使い自分なりに調べてみたのですが、これで合っていますでしょうか?野暮かもしれませんがよろしければ答え合わせ的なことをしていただきたいです。

イブ・クライン(何もない部屋へ鑑賞者をいざなう)=『空虚』展
ジョセフ・コスース(椅子の現物椅子の写真・椅子の定義を述べた文章を並べて展示する)=『1つおよび3つの椅子』
ヨーコ・オノ(リンゴを置いて腐るにまかせる)=『APPLE』
河原温(旅先から同じ文面の電報を出し続ける)=『I AM STILL ALIVE』
ジュリオ・パオリーニ(絵を裏返しに展示する)=『Ritratto dell’artista come modello』
ロバート・バリー「会期中はギャラリーを閉鎖する」という張り紙を出す)=『会期中 ギャラリーは閉鎖されます』
サンティアゴ・シエラ(張り紙すら出さずにギャラリーを閉鎖する)=『Muro Cerrando un Espacio(壁が空間を閉じる)』
ハイレッド・センター(銀座の街路に無許可で通行止めの看板を立てて道路を掃除する)=首都圏清掃整理促進運動
ダン・グラハム(美術雑誌にアメリカの住宅建築の写真入り解説を執筆する)=『Homes for America』
フェリックス・ゴンザレス=トーレス(鑑賞者たちにキャンディを食べてもらいその包み紙が積もってできた山が一定重量になったら作品完成とする)=『無題(今日のアメリカ)』
ジョージ・ブレクト(「フルート独奏曲」 と題して「第1曲 楽器を分解せよ 第2曲 組み立てよ」と指示する)=『フルート独奏曲』
ピエロ・マンゾーニ(自分の大便を缶詰めにしてグラムあたり金相場の値段で売る)=『芸術家の糞』
ロバート・モリス(作品制作にかかった金の流れを領収書や借入証の展示で表わす)=『Money』
ウォルター・デ・マリア(ステンレスの棒に芸術証明書を付け転売条件を指定する)=『High Energy Bar and Certificate(高エネルギーインゴットと証明書)』
ロイ・リキテンスタイン(美術史家の著書から説明的図式をカンバスに複製して自作の絵と称する)=『Expressionist Woodcut Series』
リゲティ・ジェルジュ(百台のぜんまい式メトロノームを同時に作動させて全部止まるまでを上演とする)=『100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック』

また小杉武久の一定の距離からピアノにさまざまな物を投げつけて音楽作品とするアートについては特定することができなかったのでご教示いただければ幸いです。よろしくお願いします。

ハルヒについての先生の考察とても面白かったです。知的でスリリングな証明・解釈、どんどん巨大化する話のスケールに食い入るように読み耽ってしまいました。また機会がありましたら、ぜひ同じようにサブカルチャーに挑んだ本もお書きになってほしいです。先生の他の著作も読ませていただきます。長文失礼いたしました。

Re: 著書についての質問 φ

2024/02/08 (Thu) 12:48:40

 どうも、各作品のタイトルをお教えくださり、ありがとうございます。
 私は単に既得知識の中から列挙しただけなので、必ずしも各作品のタイトルまで把握してはおりませんでした。
 小杉武久の当該パフォーマンスについては、改めて検索してみましたが見つかりませんね・・・ 小杉がそういうことをやっていたのは確かなので、調べ続ければいつか出てくるはずです。タイトルの付いた作品である保証はないのですが。
 こんなのもありますね https://www.iamas.ac.jp/~aka/pdo/
 基本、なんでもありですから、恣意的に思い描いたパターンに対応する実在の作品が必ず見つかる可能性があります。30年以上前、『これは餡パンではない』で架空のアート作品を大挙登場させるという(スタニスワフ・レム的な)試みをしましたが、あそこに描いた諸作品も、実はどこかですでに実演されているのかもしれません。・・・

Re: 著書についての質問 - RingRing

2024/03/10 (Sun) 13:02:00

返信が遅れてしまい申し訳ありません。あれからさらに探してみたところ『Distance for Piano』という作品ではないかという仮説が浮上してきました。(まだ断定はできませんが……)
本人が演奏したという記録は残っていないらしく、本人が演奏しているわけではないのですが、YouTube上にいくつか動画があったので添付させていただきます。
https://youtu.be/7tMolWQ1x5s?si=EvypTUqv7_k5cukr
「一定の距離からピアノにさまざまな物を投げつける」というシーンは短いですが、おそらくこの作品なのではないかと思われます。

Re: 著書についての質問 φ

2024/03/12 (Tue) 02:18:18

 ありがとうございます!
 まさかすべてのタイトルがわかるとは。

 あの動画のコメント欄にもありますが、
 小杉の『革命のための音楽』が演奏されるのはいつのことになるでしょうね。
 身体完全同一性障害Body Integrity Identity Disorder(BIID)(transabled)の人は意外と多いようなので、そのうち演奏者が現れるかもしれません。
 自分に眼があることに違和を覚えてそれを自ら解決したという事例は、たしか『私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』(紀伊國屋書店)に紹介されていましたが。・・・

AI研究について、倫理の観点での議論 - くろの

2023/11/16 (Thu) 08:32:30

こんにちは。
私はアカデミズムからは遠いところにいる人間で、実際に今学問の現場で何が行われているのかまるで無知です。
その上でおうかがいしたいことがあります。
臓器移植や尊厳死、クローン技術などに関しては、倫理的観点からの議論が昔から行われているかと思います。では、AI研究については、倫理学的にはどのような議論が行われているのでしょうか。
政府や国際機関が、情報としての安全性や知財的(著作権など)観点で議論しているニュースなどは見るのですが…
体毛を外部化して衣服をまとい、爪や牙を外部化して刃物を使うようになった人間が、脳も外部化していけるのか、いっていいのか、個人の思考(嗜好、志向)をパラメータ化してしまえるとして問題はないのか、などが個人的には気になっています。
よろしければご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

Re: AI研究について、倫理の観点での議論 φ

2023/11/17 (Fri) 16:16:32

 AIは今のところtool と見なされていますが、いずれ主体subjectとして、行為者agentとして、さらには人格personとして市民権を与えられることもありえますね。
 この系統の研究は、(AIの価値観を人間の価値観にalign するという意味で)AI Alignment と呼ばれているそうです。
以下の記事などはどうでしょうか(私自身わずかしか追っていませんが)

https://www.lesswrong.com/posts/T4KZ62LJsxDkMf4nF/a-casual-intro-to-ai-doom-and-alignment-1
https://www.lesswrong.com/posts/edAvzMeg9zxMby6Lq/realistic-near-future-scenarios-of-ai-doom-understandable
https://www.lesswrong.com/posts/TC7GhGaKFqTtQH9Aq/formulating-the-ai-doom-argument-for-analytic-philosophers

私がつい先月メモしたものとしては↓
https://blog.goo.ne.jp/3qaiujrrwc87ph/e/b9d64f38e15037d0f6923f466d08bd64

Re: AI研究について、倫理の観点での議論 - くろの

2023/11/19 (Sun) 01:54:02

ありがとうございます。
AIアライメントという言葉すらもまったく知りませんでした。完全には理解できていないと思いますが、ご紹介いただいた文章読ませていただきました。なるほど、危機感を感じている人は一定数いるわけですね。
個人的には最近の世相を見ていて「自分のことを進歩的で頭がいいと信じている人」たちこそが、世界を危険に陥れていくように感じていて、
“ people in a variety of organizations such as OpenAI and DeepMind are researching ever more advanced artificial intelligence. they're not doing this out of malice, or even that much for profit; from what i understand, they're doing it because they believe it's cool and because they think it's genuinely going to improve the world.”のあたりは強く同意しました。
先月書いてくださっていた文章はすでに読ませていただいていました。
“敢えて極端に楽観的に”記されたということでしたが、おっしゃる方向はよくわかりました。
ただ一点、AIがpersonにまでなった場合、「彼」が肉体を持たないことがどのように「彼」の思考に影響するか、というのがわかりません。ご著書『論理パラドクス』の「肉体交換機」の話を思い出しますが、あそこでは見事に人間の本質が肉体側にあるということを示されていたように覚えています。
個人としての肉体を持たないAIは、personになり得るのでしょうか? なるには何らかの物体的なハードが必要になるのでしょうか? personの定義の問題な気がしますが、やはりこの部分で、私は今のところAIに楽観的になれません。

ルッキズムと美醜、傷つきやすさ - 元学生

2023/06/19 (Mon) 23:27:11

ルッキズムについて先生の考えをお聞きしたく、投稿失礼します。
私自身、容姿や肌に醜いところがあるのは確かなので深く苦悩することはありました。
そんな自分ですがルッキズムが悪とは思えないのです。
これって別におかしくないですよね?
本能としてなのか、見た目や印象が魅力的な人に惹かれてしまう性に抗えないのです。
容姿のことで虐めたり暴力を振るったりするのが言語道断なだけであって、魅力ある容姿の人や、そういう人に惹かれてしまうこと自体は悪いわけではないですよね。
例えば親ほど歳の離れた異性は私からすると恋愛対象外になってしまいますが、これって男女問わず言えることだと思うんですね。稀に歳の差が大きく開いたカップルや夫婦もいますが、全体から見ると本当に極少数です。まず若い者が老いた者と結婚しようものなら財産目当ての後妻業と見られるのがオチですから。
よくSNS等でフェミニストを名乗る方々が萌え絵や男オタクを叩いてますが、イケメンキャラが好きな女オタクのことはスルーしがちなんですよね。だから欺瞞に満ちているなと。
私は下記の記事にある通りだと考えてます。
https://www.mag2.com/p/news/563593/amp

先生はルッキズムに対してどう思われますか?
例えば先生だって他人から年齢や見た目のことを揶揄されたら不愉快だと思うのです。
でも先生は、ブログ等を読む限り私と同様にルッキズムは悪くないことだという立場なのではないかなという気がするんですね。

先生は言論の自由、表現の自由を尊重しているとは思うのですが……もし自分の容姿や年齢に対して悪く言う方がいたら許容しますか?
私はなんやかんや許容できるようになりました。とても苦しかったですけれどね。
ブスなところがあるのは事実でもありますし。
先生がもし同じ立場になったらどうするのか気になりました。
参考にしたいのです。

Re: ルッキズムと美醜、傷つきやすさ φ

2023/06/21 (Wed) 01:35:48

 誹謗中傷は外見がらみだろうが何だろうがダメに決まっているでしょう。やられたら誰だって怒ります。
 対して、単なる好き嫌いのルッキズムが悪だという人はいないでしょうね。そもそもルッキズムと呼ぶかどうかも疑問です。外見ゆえに好かれない、すっぴんを見られてフラれた、等々、その種のことは諦めるしかないですね。
 外見が関与しないはずの事柄について、人の扱いを外見によって変える立場がルッキズムです。好き嫌いには外見が関与するので、恋愛や性愛や友情など、関係成立の正否が外見で変わるのは当り前です。
 対して、女性が女性トイレを使うことができ、男性は女性トイレを使えないというのは、外見は関与しません。だからLGBT法成立以前は、外見に関わらず、♂は女子トイレ使用禁止でした。ところが法成立後、「法の精神からして」外見が女性である♀と外見が女性である♂をトイレ使用権で区別するのは、シスかトランスかで区別したことになり、差別になる可能性があります。シスかトランスかは「女性」であることに影響しない、というのが当事者の言い分だからです。よって、外見女性の♂は女性トイレに入れることになります。
 すると、外見ゴリラのトランス女性も同じように扱わないとルッキズムですね。もともと外見はトイレ利用権に無関係だったので。
 面倒な法律が出来てしまったものです。もう施行されているらしいですね。

 というわけで、恋愛・性愛にはルッキズムは成立しないというのが私の立場です(「ルッキズム」をネガティブな語と取る限り)。外見ゆえにモテない外見弱者は、LGBTなんぞよりはるかに深刻な弱者だと思います。

Re: Re: ルッキズムと美醜、傷つきやすさ - 元学生

2023/07/01 (Sat) 14:27:11

そうですね。全面的に同意です。
では、主にSNS上で『のぞき学原論』について嫌悪感をあらわにした感想を呟く人達についてどう思われますか?思うに、内容が内容だけにああいう風に嫌がられてしまうのは仕方のないことではないでしょうか。
そして、反発の声が多かれ少なかれ出てきてしまうのは、あの本を出す前から出版社側も先生もわかりきっていたことだとも思うんですよね。
それでも世に出したのは先生の意思ですし個人の自由ですから、本を出すこと自体は悪ではないのでしょう。それが本人への悪い印象に繋がってしまうものだとしても。
東大教授となったことで女子大にいた頃よりも権威性と知名度が高くなり、それだけ人の目につきやすくなったことで変態的な著書への嫌悪感から先生自身も悪く見られやすくなったのだろうと思われます。

私は女性スペースを守る会に賛同してますし、先生の論理学関連の著書だって持ってるほどです。それは会の主張や先生が展開する論理を真っ当だと認められるからできることなんですね。
そんな自分でも『のぞき学原論』に関してはネット上の感想等からどんな内容なのか少し知っただけで体調が悪くなるほどでしたので、自分では買えないしまともに読むこともできない本だと思ってます。
確かに表現の自由が認められているものの、その表現の中で女性の容姿を貶める文をしたためているのは紛れもなく著者だとわかってしまうからです。
そこが先生への何とも言えない感じに繋がっていると実感しました。
私自身が女というのもあり、著書の中とはいえ先生が惜しみなく女性を貶める表現を披露していることにものすごく気持ち悪くなってしまう自分と、学生時代に先生の講義を興味深く聴いていた自分とがいるから苦しくなるのだと気づきました。
そして、多分ですが私のように感じてしまう学生が一定数でてきてしまうのは避けようがないでしょう。

私がもし大学教授など権威ある立場で、分析される対象を男性にして『のぞき学原論』にあるような表現をしたら非難轟々でしょうし、女性スペースを守る会のような組織でどんなに真っ当な主張をしていても「著書の中とはいえ異性に対してあんなことを言っていた人が人権や安全のために活動するのは何か裏があるのではないか?」と疑いの眼差しで見られることは残念ながら避けようがないでしょうね。
変態的な著書で取り上げられているものがAVという作品とはいえ、そこに登場しているのは生身の人間なわけですから。表現の自由により著書の中身が吐き気を催すほどの邪悪な内容のもので出版が可能であったとしても、その情報を受け取った側がどう感じてしまうかまではコントロールできませんよね。
どんなに作り手が「不快にさせる内容なのは百も承知で出したけれど、著者への悪い印象は持たないでほしい。作品と著者への評価は分けてほしい」と思ったところで、受け手には通じないでしょう。
ですから世に出されているあらゆるもの(情報含む)に対し、自分の苦手なものには極力触れないようにしていくしかないんですよね。

先生がトカナに寄稿した誹謗中傷問題の記事を読んだのですが、東大有志による声明を「性的マイノリティを誹謗中傷しているという誹謗中傷」と先生が認識していたとしても、声明を出した側やそこに連なる学生にとっては残念ながらそう認識できなかったということです。だから声明が先生への誹謗中傷という発想には至らないでしょうし、むしろ声明は誹謗中傷ではなくて正当な抗議の声だと認識しているから取り下げることもしないのだと思われます。
ものすごくシンプルに言えば双方には認識に大きな誤解があるだけですよね。
もしあの声明が取り下げられる時が来るとしたら、声明側との誤解が解けた時ではないでしょうか。
でもその誤解を解くのは非常に難しそうだなというのは見ていて思いました。
なぜなら人間とは論理だけで生きているわけではないからです。
快・不快のような感覚も生じてしまうのが人間だからこそ、どんなに主張の正当性を論理的に発信側が述べようが、受信側に正しく伝わらないことだってあるのだと感じました。
私の場合、先生の論理はもっともだと思っていても例の著書がよぎってしまう以上はハッキリ言って先生個人への苦手意識は拭えません。
女性スペースを守る会に賛同した身としては、どうにかして先生への嫌悪感をなくそうと自分なりにあれこれ考えたものの限界がありました。
でもそこは、今はもう無理に好きになろうとしなくていいと思いました。
認めるところは認めて、苦手なところは苦手。それだけです。

声明陣であれ虹の人達であれ、単純に先生への嫌悪感が強いがゆえに先生がLGBT問題についてどんなに真っ当な主張をしていてもそういう部分が見えなくなってしまっていると思われます。
例えば私だって「そんなつもりで言ったわけじゃないのに」と思ってても、真意が伝わらなければ相手にネガティブな印象で見られるのは避けられないわけです。
人が人である以上、そういうことを完全になくすことは無理なんでしょうね。
先生の論理は正しいと思ってる私ですら、先生自体を好意的に見れるかと問われると例の著書のこともあって難しいわけです。

これは私に対しても同じことが言えます。
誹謗中傷がいけないのは確かですが、外見であれ何であれ私のことを貶してきた人だって私からすれば「そんなこと言わないでほしい」と思っていても、その人がどう感じてどんな言葉を放ってくるかまでは自分にはどうしようもないことです。
過去に私の見た目について悪意ある形で罵ってきた男性がいましたが、単純にその人からしてみれば好みではなかったという話ですし、その人がどんな見た目の人に好意を持つかに善悪はないですよね。まぁそれでも、心身に支障がでる程の罵りはやめてほしいとは思ってしまいましたが。

誹謗中傷はいけないこと、という認識は良識ある大人なら大半の人に備わっているでしょう。
でも先生が誹謗中傷だと感じていることを相手側は誹謗中傷だと認識していない(できない)ケース、それが声明などのオープンレターだと思います。
ポリコレであれハラスメント問題であれ、人間に感情があるからこそ一筋縄ではいかないと思いました。

Re: ルッキズムと美醜、傷つきやすさ φ URL

2023/07/02 (Sun) 02:14:14

 あの有志レターは困ったものですね。東大教授のレベルはあんなものかと恥をさらし続けている。
 本郷の文学部では、学生があのレベルの文章をレポートに出してきたら、落第です。駒場ではあれが教員基準なんですかね・・・自助努力してほしいものだ。

 で、『のぞき学原論』ですか?
 書籍というものは、不快な予感のする人は読まなければよいので、テレビやラジオやツイッターとは異なり、言論の自由が最大限に保証されます。読みたくなければ読まないでください。
 もちろん、読んだ上で嫌悪感を吐露するのも自由です。嫌悪感を誇張してレポートする人がウェブに数名いるようで、なんか照れますね。
 私は宗教が大嫌いですが、必要に駆られてときどき創造説系の有害図書を読みます。きわめて不快ですが、いちいち不快感を世間に報告したりしません。面倒だし。
 『のぞき学原論』についてはわざわざ不快だ不快だと言いふらしてくれる人がいて有難い限りです。ただし、苦情流布勢には全体を読み通した人はいないようですけれどね。
 暗部から目をそらし続けたい性癖の人々が努めて暗部のみ拾い読み何か言おうとするのはさぞシンドイことでしょう。嫌悪吐露系言論の自由をめいっぱい謳歌されることを祈っています。

Re: Re: ルッキズムと美醜、傷つきやすさ - 元学生

2023/07/03 (Mon) 09:54:12

誰しも苦手なものってあるのでそこは自由ですし、仕方ないんですよね。
恐らくなのですが、あの本をちゃんと読んでいようとなかろうと不快感を顕にしてる人達は先生がどのような意図で書いたかよりも、単純に使われてる表現や取り上げられている題材(AV作品)が感覚的に受け付けないだけなのではないかと。
そこを倫理観と結びつけるから個性的な奇書に抗議したくなるのかもですね。
前の書き込みだと何だか私が先生自体を毛嫌いしてるようにも読めるような文章になってしまいましたが、苦手な表現のある本を先生が出してしまってることを自分の中で否定したくて八つ当たり的になってしまった節があるのでそこは申し訳ないです。
先生に関するものでどうしても苦手なもの(表現)があるのは確かですが(こればかりはすみません)、そういう個人的な嗜好を抜きにすれば先生が展開する論理や主張を何やかんや私は信頼してるのだなと改めて感じました。

お久しぶりです。飯野です。 飯野香里

2023/06/25 (Sun) 19:19:28

三浦先生

お久しぶりです、飯野です。

今女装クラブの歴史と女装とマゾヒズムの関連を調べています。
それでふと風俗資料館の事を思い出しました。
風俗資料館は昔会員だったのですが、今の自宅から通うのは遠いので躊躇しています。
三浦先生は風俗資料館の会員だったことはありますか?
そしてこれ以上自らの嗜好をワールドワイドウェブに晒したくないので、三浦先生のメールアドレスにメールを送りたいのですが、宜しいでしょうか?
突然厚かましいお願いをして申し訳ありません。
宜しくお願い致します。

飯野香里

Re: お久しぶりです。飯野です。 φ URL

2023/06/25 (Sun) 21:57:28

風俗資料館は残念ながら興味を抱いたことはありませんね・・・
世のマゾヒスト差別が酷く、その存在に言及するだけでデマ呼ばわりというのが流行っている模様。マゾヒズム関連は色々ご教示いただきたいですね。
メアドはブログのてっぺんに公開しているのでご自由にどうぞ。

皆でこの社説を褒め称えよう! φ

2023/05/13 (Sat) 21:57:21

https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20230512-OYT1T50280/
「それぞれの国の歴史や文化、社会通念を認め合うことも、多様性の尊重と言えよう」
 まさにそのとおり。
 しかもgender identity尊重が社会通念になっている国など、地球上に一つも存在していない!
 科学的に言って、gender dysphoriaは錯覚or妄想です。


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